2016年4月15日

【第5回】産業新聞80年史 デジタル時代への対応 ―ネット事業展開と新システム構築―

1990年(平成2年)を境とするバブル崩壊により、99年までの10年間にわたり「失われた10年」と言われる長期不況に突入した日本経済は、97年の消費税3%から5%への引き上げによりさらなる不況へと落ち込んでいく。バブル崩壊後、低いながらも成長を続けていた日本経済は、98年に経済成長率がマイナス1・81%、99年にはマイナス1・54%とマイナス成長に転じ、泥沼の様相を呈したのである。

この間、鉄鋼業界では93年に新日鉄、NKKがバブル崩壊後、初めて赤字を計上するなど、86年当時の不況を上回る大不況に見舞われ、各社とも再リストラを余儀なくされた。

98年にはメーカー・流通の事業清算、自己破産などが続き、粗鋼生産は9355万トンと1億トンを割り込んだ。さらには2000年の「ゴーンショック」によって高炉メーカー間のシェア争いが激化、これを起爆剤に02年のJFEホールディングス発足へと至るのである。

こうした厳しい環境の中での産業新聞は、次なる飛躍に向けて着々と手を打っていった。一つは目前に迫っていたネット社会に備えた新規事業の展開である。デジタル時代の到来を見越し、97年に鉄鋼専門紙業界の先頭を切ってホームページを開設、インターネット事業に乗り出した。紙媒体を主力収入減とする新聞業界は、ネット上に無料で記事を掲載することは自殺行為にも等しい。社内にも反対意見はあったが、いずれ来るであろうデジタル時代を先取りする形で電子媒体への投資を行い、さらなる事業拡大を目指したのである。このことは電子新聞製作システムの導入と相まって、01年に阪和興業に対する記事提供事業を開始したのを皮切りに、05年日経テレコン、07年Gサーチ、ニューズ・ウォッチ、09年ダウ・ジョーンズへの記事情報提供という形で新たな事業の拡大につながっていった。

二つ目は新たな新聞制作システムの構築である。当時の新聞制作システムは写真製版印刷によるCTS(コールド・タイプ・システム)によるものだったが、これを画面編集機による電子新聞制作システムに切り替えるというものだ。システムとしては大手のNEC、IBM、モトヤ、方正など様々なメーカーのシステムがあったが、採用したのは当時の住友金属工業の「エディアン・ウィング」であった。産業新聞と住金の関係もあるが、なによりシステムの完成度、操作の軽快さなど現場の支持が決め手となった。住金とはシステムを共同で開発、新システムは「住金」と「産業」の名を冠した「SSスーパーシステム」と命名、2000年4月から全面稼働を開始した。またこのシステムとネット事業を一体化した事業展開は、IT業界からも高く評価され、03年の「関西IT百撰」に選出された。

画面編集機による新聞制作は、それまでのCTSに比べ制作工程の大幅な短縮、合理化をもたらし、厳しい経営環境の中でのコスト合理化に大きく寄与した。さらにこれが印刷体制そのものの変換をもたらすことになったのである。

当時は東京・大阪の両印刷体制から、コスト削減の要請もあり2000年に東京一極印刷体制へと移行していた。しかし、西日本地区で配送トラブルが生じることもあったため、03年には再度、東京・大阪の2極印刷体制としていた。印刷は、東京は日刊スポーツ、大阪は第一印刷に委託していたが、2極印刷のコスト、さらに配送は読売新聞ルートであるため印刷所から読売新聞までの輸送、仕分けにかかる時間的ロスなどがあり、これをどう合理化するかが課題だった。

新聞制作システムの電子化により、今では当たり前ではあるがデータの送受信がパソコン上で瞬時に行えるようになった。これを武器に配送を委託している読売新聞での印刷を模索、1年かけて読売新聞と伝送システムの構築を行い、04年、大阪の印刷を読売新聞大阪本社に移管した。さらに翌年には東京印刷も読売新聞東京本社に移管、新聞制作から印刷、配送の読売新聞一元化を完了した。業界専門紙が大手一般紙の本社で印刷することは初めての事であり大いに注目された。

この間、バブル崩壊後の不況に苦しめられた日本経済も、01年の小泉内閣発足を機に、「不良債権処理」「聖域なき構造改革」「規制緩和」などの政策推進により回復に向かい、2002年2月からリーマンショック前の2008年2月まで「戦後最長の景気回復」と呼ばれる状況となった。鉄鋼業界では、03年に粗鋼生産が1億1000万トン台を回復、中国をはじめ東南アジア諸国の経済成長もあり、07年には1億2020万トンと過去最高を記録するまで回復した。しかし、世界の鉄鋼業界では欧州における企業の再編統合、06年のアルセロール・ミッタルの誕生、中国、韓国などのライバル企業の台頭など、日本の鉄鋼業にとって試練は続いたのである。こうした中で産業新聞は、高炉メーカーの新たな世界戦略、グローバル展開を見据えて、次なる事業戦略を展開することになるのである。