2015年11月20日

下妻 博氏(新日鉄住金相談役、元住友金属工業社長)を悼む 住金再建の「中興の祖」

 あまりにも突然の訃報に息をのんだ。つい先日(2日)、JFEホールディングス元会長江本寛治さんのお別れの会でバッタリ、「元気そうだね」と声をかけられたのが最後となった。

 住金(現新日鉄住金)の社長時代(00年~05年)は、経営的に最も厳しい時で人員削減や課題であった和歌山製鉄所上工程の合理化など再建に全力投入した。02年には新日本製鉄、神戸製鋼所との包括提携を実現、会長時代には新日鉄の三村明夫会長と二人三脚で経営統合を押し進め、巨大鉄鋼メーカー誕生を主導した。07年から関経連会長を務め、「関西広域連合」の実現、関西経営者協会の関経連への統合などを進めた。

 豪放磊落な性格でズバリ直球で物言うところは、住金カラーから一歩抜き出た存在だった。明るく何事にもオープンで、若いころ和歌山の高炉の中で「立ちション」をしたとのエピソードも、いかにも下妻さんらしい話として今に語り継がれている。

 かつてインタビューで、和歌山の新シームレス工場建設計画の話に及んだことがある。その記事を書き終わった頃、広報と経営企画部の現場から記事ストップの声がかかった。「書く」「止めてくれ」でもめている最中、下妻さんがいきなり現れ「いずれオープンになる話だ。隠す必要はないだろう」と一言、新シームレスの計画が紙面を飾った。また厳しい経営状態の中で株価が低迷、尼崎で技術展開催のさなか、株価額面割れの報が流れ、急遽、大阪本社で台本なしの緊急記者会見を開くなど、即断即決の人だった。新日鉄との統合も下妻さんの決断力あってこその統合だったと言える。住金OBからは厳しい声も聞かれたが、企業が生きる道としての信念は揺るがなかった。

 お酒は飲まなかったが、若い社員とワイワイガヤガヤ話すのが好きで、人を引き付ける魅力があった。高校時代、野球部に所属したスボーツマンらしく、長身で颯爽とした風貌が目に浮かぶ。

 ともあれ住金の最悪期にあらゆる手を打ち、経営を立ち直らせた中興の祖であり、新日鉄との統合という歴史的判断をした人として鉄鋼業界に名を遺した。

 謹んでご冥福を祈る。

                                 (山村俊郎)