2022年4月27日

日本の特殊鋼/世界に誇る技術の粋/(4)/電気炉製鋼100年の歴史

 英国・シェフィールドのばね製造業者で、時計技術者でもあったベンジャミン・ハンツマンが、時計用ぜんまいをるつぼ製鋼法で作り始めたのは1740年ごろのこと。これが特殊鋼開発の始まりとされている。その後、1800年初めに英国人化学者のマイケル・ファラデーが合金鋼の研究を行い、20世紀に入るとさまざまな合金鋼が開発・実用化されてきた。

 1800年代後半から1900年初頭にかけて日本が欧米の鉄鋼製造技術を精力的に学び、官営製鉄所で普通圧延鋼材や鉄道用鋳造レールの生産を始めた当時、特殊鋼は大半を欧州からの輸入に依存していたが、第一次世界大戦で特殊鋼需給が逼迫したことから、日本国内での生産を迫られた。

 るつぼ製鋼から電気炉製鋼による特殊鋼の製造が始まって100年余り経た現在、国内の特殊鋼は性能や品質、製造技術で世界トップレベルを誇り、グローバルで進行する新たな産業の興隆を支える重要な役割を担うまでに成長した。

 1800年代半ばに圧延鋼材を欧州から最初に輸入したのは、大阪・立売堀で金物屋向けに和鉄を商っていた山本東作商店(現カネヒラ鉄鋼)。その後、官営八幡製鉄所(現日本製鉄)や民間の製鉄所設立が相次ぐ中、同社は現在の神戸製鋼所などの製品を扱い、昭和に入り、鉄鋼問屋も軍需統制の流れを受ける中、1933年の山陽製鋼所(現山陽特殊製鋼)設立にも携わった。

 国内特殊鋼製造の黎明期である1930年代には、成分調整用の合金鉄や工具鋼を溶解する電気炉、鉄道レール用マンガン鋼の特殊型を用いた鋳造、航空機用バルブやプロペラ軸を鍛造する1―2トンのハンマー鍛造機などが稼働。その数年後には電気炉の溶解能力は10トン単位となり、大容量高周波誘導炉、圧延機などの導入により、ばね鋼、ボルト用鋼、バルブ用耐熱鋼、自動車用構造用鋼が製造されるようになった。

 大同特殊鋼は、1916年に名古屋電燈から製鋼部門が分離し、電気製鋼所として合金鉄および工具鋼の生産を開始。日立金属は、たたら(製鉄)にルーツを持つ安来工場前身の雲伯鉄鋼合資会社が1899年に、日立金属の前身および日産自動車のルーツとなる戸畑鋳物株式会社が1910年にそれぞれ発足。愛知製鋼は、1940年に豊田自動織機製作所の製鋼部門が分離独立して豊田製鋼としてスタートしている。

 戦後には民需向け製品へと製造対象が転換し、特殊鋼のプロセス技術は大きく前進。国内需要の増大はもちろんのこと、ほとんどなかった特殊鋼の輸出も朝鮮動乱を機に始まり、鍛鋼、鋳鋼を含む特殊鋼生産は高度経済成長期にかけて大きく伸びていった。

 1980年代、急速に進む円高と貿易摩擦の激化により、日系自動車メーカーは米国での現地生産が加速。それに伴い日本の鉄鋼、特殊鋼メーカーの米国はじめ海外展開が進んだ。一方、国内経済は停滞傾向にあった中、各社は粉末やチタン、磁材、航空・宇宙材料、精密鋳造などの新規事業への取り組みを強化した。しかし、90年代にかけてバブル景気が終わると長い低迷期に突入。新しい生産技術やシステムの開発・導入など生産効率を高め、競争力のある企業体質構築へと向かっていった。

 2001年のITバブル崩壊などを経て、2002年から始まった国内の景気拡大は、中国などBRICsの台頭で好調な輸出に支えられて、低成長ながらも戦後最長となり、特殊鋼メーカーの業績も拡大。特殊鋼製品は、産業における重要部品の素材として使用され、高品質な特殊鋼製品のニーズが一層高まる一方、特殊鋼マーケットにおける国内外の競争は激化。国内特殊鋼メーカーはコスト競争力を強化していくとともに、独自技術と確かな製造技術を生かした「ナンバーワン」や「オンリーワン」商品が次々と開発、製品化されていった。

 (「日本の特殊鋼」取材班)
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