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構造改革に挑む/<42> まとめ

日刊産業新聞 2002/6/5

 「限界利益志向、数量志向は世界の市場価格を押し下げるだけ」――、ようやく「先を見越した対応をするようになってきた」と、前経団連会長、今井敬・新日本製鉄会長は鉄鋼業界の現状をそう評価した。

 カルロス・ゴーン日産自動車社長は5月下旬、鋼材値上げ要請に対し、「自動車はこの間、価格を上げずに頑張ってきた。鉄鋼業界はもっと自助努力を」と、記者会見で述べた。それに対し、千速晃・鉄鋼連盟会長(新日鉄社長)は同日、「努力していないというような言い方には、ぜひとも反論したい。日本の鋼材価格は国際相場から見ても、10―15%は安い。一方、円安が進むと輸入原料は割高になる。まず市中価格を改善し、それからユーザーに適正な価格水準に戻してもらうことをお願いしていきたい」と、柔らかい表現だが、毅然として反論した。

 トヨタグループの1兆1000億円は別格として、本田、日産、三菱、マツダなど、02年3月期決算では、軒並み大幅な黒字を計上。

 それに引き換え、高炉大手各社の連結ベース当期損益は、新日鉄(▼284億円)、NKK(▼676億円)、川崎製鉄(68億円)、住友金属工業(▼1047億円)、神戸製鋼(▼285億円)、日新製鋼(▼252億円)――と、合計2476億円もの赤字となった。黒字は川鉄だけだが、同社といえども単独ベースでは▼107億円の赤字だ。

 01年度の粗鋼生産は全国ベース1億208万トンと、まがりなりにも1億トン大台をキープした。しかし、価格下落はあまりにもひどいものだった。

 アジア向けホットコイルの当面の回復目標がトン当たり250ドルということから想像できるように、一時は200ドルを割り込み、鉄筋小棒よりも安い水準ということで話題になった。とくに、韓国などとは大きな貿易摩擦が発生。台湾はH形鋼で、中国もステンレスで日本を相手にAD提訴、直近では冷延等を的にセーフガードを――というように、一昔前には考えられない状況が生まれた。

 最近、旧通産省の鉄鋼業務課長経験者と、お話しする機会があったが、ちょうど第1次オイルショック(1973年)の頃で、鋼材斡旋所を東京・茅場町の鉄鋼会館に設置した話に及んだものだ。そのとき、小棒は“瞬間最大風速”トン当たり12万5000円にまで釣り上がったという。今では考えられない夢のような話である。

 バブル的な価格はおくとして、87年度平均の新日鉄鋼材単価のうち、熱延鋼板はトン当たり8万8000円ほどであった。冷延鋼板はそれより1万円高である。それが、例の日産ゴーンショックで日産向けなど4万8000円程度にまで下がったといわれる。15年間でほぼトン当たり4万円下がっている。

 すべてがそのように下がったわけではなく、鋼種構成も高度なものに変化している。それらを無視し、新日鉄の年間生産量2500万トンとみて、この間に失われた金額は年1兆円、15年間で15兆円となる。リニアに下がった前提で半分の7兆円余から4分の1の4兆円近く、本来得られるべき売り上げが失われたといえる。

 他社も同じ値下がりを経験している。高炉大手だけで年7000万トン前後の生産とみて、年間2兆8000億円程度の売上高が失われ続けてきた。その半分から4分の1とはいえ、15年間の逸失売上額は天文学的数字に達する。しかも、現在の実効販価は、さらにトン当たり1万円は安いといわれている。

 87年度の粗鋼生産は1億188万トンと、今とほとんど変わるところがない。最高は90年度の1億1171万トン、最小は98年度の9098万トン。01年度までの15年間の平均は1億214万トンである。まがりなりにも1億トン大台生産が続いてきたにもかかわらず、利益を得られず、今日、大統合時代といわれる仕儀に至ったわけである。

 客観的には過剰設備を温存したまま、“数量経営”、言葉を換えて言えば「限界利益追求型経営」が、この間続いてきたわけで、こうした考え方に基づく事業運営は破綻したといえる。

 02年秋JFEホールディングスが誕生する。03年4月以降、JFEスチールが新たな活動を開始し、かたや新日鉄―住友金属、新日鉄―神戸製鋼の大連合グループも、品種別に結束を固めつつある。

 余剰設備を整理し、あまりに下がり過ぎた価格を立て直すこと。OECDに報告した日本の削減目標を、単なる数字あわせに終わらせることなく、着実に実行していくこと。トップの決断が今ほど求められている時はない。 (おわり)