――所長として直面した震災当時の状況を。
「当時は需要家の会合に出席するため、課長以上の事務系スタッフと盛岡にいた。地震の発生で急きょ、製鉄所に戻ったが、製造部長以下、工場長やグループリーダーが製鉄所に残っていたこと、早急に初動措置を講じたことで設備被害を最小限に食い止めることにつながった。従業員の安否確認を最優先しながら、2012年5月の自社南桟橋復旧まで約1年2カ月をかけて全設備の復旧を完了した。設備については最短工期・最低コストで復旧するべく全てを部分補修で実行するとともに、被災を理由に1社も撤退することがないよう支援することを目指す中、宗岡正二・新日本製鉄社長(当時)が4月13日に来所し、『新日鉄ある限り釜石製鉄所と共にある。必ず復旧を!』という激励が釜石市民、製鉄所従業員の希望となった。衛星電話で宗岡社長、進藤孝生副社長(同)に逐次状況を報告したものの、釜石に全権を任せ、本社は100%支援に回ってくれたおかげで、復旧作業をスムーズに行うことができたと思っている」





















