2016年7月1日

財界トップインタビュー 「日本経済と鉄鋼業」(上) 日本商工会議所会頭(新日鉄住金名誉会長)三村明夫氏 「日本再興戦略」に期待

――近年の日本経済情勢の分析から。

「アベノミクスは失敗だったといった指摘が、国内のみならず海外からも出始めているが、そもそもアベノミクスは何を狙っていたのか、何が成功して、何を達成できていないのかを検証したうえで、評価しなければならない。わが国は、とても暗い20年におよぶデフレを経験した。そこにアベノミクスが登場し、超円高が是正され、株価も上昇した」

――2012年12月に第2次安倍政権が発足し、13年3月に黒田日銀総裁が就任。前政権時に1ドル80円前後だった円ドルレートが14年12月には120円台に乗せた。1万円を挟む展開が続いていた東証株価も15年4月に2万円台に乗せた。

「超円高が是正されたことで、円安の恩恵を享受する多くの大企業が史上最高益を更新した。株価上昇で個人消費も盛り上がった。一気に世の中が明るくなって、さあ、これで全国津々浦々まで成長が行きわたるとの期待が高まった」

――ところが14年4月の消費増税後、駆け込み需要の反動減もあって、成長ペースが鈍化し、足踏み状態が続いている。

「日本は『失われた20年』の間に潜在成長率が0・2%まで低下し、自力で成長する力をほぼ失ってしまった。2015年度の実質GDP成長率は0・8%。物足りないという指摘は少なくないが、潜在成長率からすると健闘したという評価が正しい。ただ0・8%程度の成長率では成長の果実が全国に行き渡らない」

――どのような施策が必要なのか。

「円安強者、つまり円安メリットを十分に享受した企業があり、円安でデメリットを受けた円安弱者もある。総じていえば中小がデメリットを被り、大企業はメリットを享受した。明るさが津々浦々まで行き渡るには、円安強者から円安弱者に所得が再分配されなければならない。円安強者による再分配の手法は、ひとつが賃上げで、もうひとつが国内生産を増やし、その仕事を地方企業、中小企業に展開していくことだろう」

――確かに大企業と中小企業で明暗が分かれている。

「超円高は是正されたが、大企業の生産国内回帰の動きは鈍い。大企業は高収益を上げているにも関わらず経費削減を叫び続け、原価低減の手綱を緩めない。このため下請けとなる中小企業の取引条件改善も本格化しない。安倍政権は超円高の是正、法人税引き下げを実施。TPPなどの貿易環境整備の遅れを取り戻す努力も積み重ね、日本企業にとっての『6重苦』の多くをクリアした。ただ、現在の日本にとって最も重要な潜在成長率の引き上げが課題として残っている」

――雇用情勢・企業収益とも歴史的高水準にあるが、個人消費、企業の設備投資など民間の活力は盛り上がってこない。こうした中、安倍政権は、名目GDP600兆円実現を目指す「日本再興戦略2016」を打ち出した。

「GDP600兆円は、3%以上の成長が続かなければ実現しない。0・2%程度の潜在成長率で、3%以上の成長を実現するのは不可能に近い。潜在成長率の構成要素は資本、労働力、生産性のサプライサイドの3つ。需要創出は財政出動などをすれば比較的容易にできる。一方、サプライサイドの資本投下を増やし、生産性を引き上げることは決して容易ではない。労働力不足を解決するにも様々な手立てが必要。『日本再興戦略』は、国内における資本蓄積を促し、労働人口の減少に歯止めをかけて人手不足を解消に導き、生産性の向上を目指すシナリオを描いている」

――日本の生産性は高いのでは。

「十数年間の設備投資の停滞で、日本の生産性は製造業、非製造業ともにドイツや米国に大きく劣後してしまった」

――「日本再興戦略」は生産性向上につながるのか。

「国内における資本蓄積、すなわち企業の設備投資がなされない限り、生産性は向上しないし、イノベーションも生まれない。『日本再興戦略』では、新たな有望市場を創出・拡大し、IoTやビッグデータ、AI、ロボットなどの活用による第4次産業革命を推進するといっている。人手不足を克服しつつ、生産性の向上を図るものであり、大きな期待を寄せている。ただし、市場を創造するには時間がかかる」

――政府は新規市場創造、生産性向上の足かせとなっている規制の緩和にも取り組む姿勢を打ち出している。

「規制によって保護されている一部の人達が、大きなメリットを享受している。政府は少数の利益享受者から利益を取り上げて、全体の利益とするための規制改革を断行しなければならない。『日本再興戦略』には、タブーとされてきた電力・農業・医療などの規制改革が盛り込まれている。規制改革は金のかからない成長戦略といわれるが、強い抵抗が想定される。実現には少し時間がかかるだろうが、必ず突破してもらいたい」

――少子高齢化問題は深刻。

「人口減はさらに加速する。14年から20年の間に280万人の労働人口が減り、25年には減少幅が460万人に拡大する。これからの約10年間で毎年50万人の労働人口が減り続けるわけで、人手不足はますます深刻化する」

――政府は「ニッポン一億総活躍プラン」も打ち出した。

「労働人口は、日本の成長を左右する重要な要素であり、少子化対策は不可欠。15年の出生率は1・46と約20年ぶりの水準に達した。大いに喜ぶべきことで、ぜひとも回復を促し続けてほしい。政府は、女性に働いてくれ、子供も産んでくれと言うが、両立は容易ではない。まず待機児童をゼロにして、女性が柔軟に働ける環境をつくり、労働人口減少に歯止めをかけなければならないが、減少幅が大きいため相当な時間がかかる」

――高齢者の労働力も活用したい。

「意欲はあるが働いていない65歳以上の男女が200万人いるとされ、この労働力を活用すべきだろう。男性の労働可能な健康寿命は平均71歳で、平均寿命が80歳。9歳の差があり、女性は12歳の差がある。不健康で働けない高齢者が増えると、労働人口が減るだけでなく、介護に労働力をとられる。安倍政権が、介護離職ゼロを打ち出したのはまことに明快で、確実に実行に移してもらいたい」

――さてアベノミクスをどう評価する。

「アベノミクスは、第1ステージにおいて需要を増やして需給ギャップを縮小し、6重苦の解消に努め、その結果、多くの大企業が収益を改善させた。ただ、足元を見つめ直すと潜在成長率は低下したままだった。そこで潜在成長率を引き上げる第2ステージに入った。消費税の再増税は社会保障制度を維持する目的税であり、少子化対策に不可欠。増税を再び延期したことは大変残念なことだが、新たに打ち出した『日本再興戦略』『一億総活躍プラン』では、人口減少社会の構造的課題の克服に真正面から取り組み、持続的成長を実現するためのサプライサイドの政策を網羅している。いずれのテーマも時間がかかるが、それぞれの政策メニューは的を射たものであると評価している。安定した政権の下で、迅速に実行に移してもらいたい。商工会議所としても、成長戦略の実行主体である民間企業、中小企業の活力強化、地方創生、一億総活躍社会の実現に全力を尽くす」