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2024.12.4
2022年5月9日
鉄鋼業界で働く/女性営業職・課長補編/インタビュー(上)/困ったとき頼れる存在に
ステンレス・特殊鋼の専門商社、大同興業大阪支店(所在地=大阪市中央区、関公彦支店長)では、2005年度から総合職採用の女性が入社するようになった。鉄鋼営業本部鉄鋼第四部ステンレス第2チーム課長補の樋口真衣さんも総合職採用で07年に入社。日々業務にまい進している。鉄鋼業界を志したきっかけや業務内容、家庭との両立などを聞いた。
――入社の経緯を。
「大学時代に中国語を学んでおり、交換留学制度を利用して吉林省長春市で1年間勉強していました。当時はパンツスーツを着て働くキャリアウーマンに憧れ、グローバルでスケールの大きい仕事がしたいと思っていましたね。専門商社を目指していましたが、4年生の夏に帰国。日本の就職活動はピークを過ぎていました。大学のキャリアセンターに相談に行き、卒業生が大同興業で働いていると教えてもらったのをきっかけに、会社説明会に参加しました。社内で行われたのですが、受付を通った際、きれいなオフィスや感じの良い社員の方々が印象的で、漏れ聞こえる電話からは外国名が耳に入り、『ここで働きたい』と思いましたね。06年の男女雇用機会均等法改正をきっかけに女性の総合職採用が始まったようで、同期社員26人中5人が女性総合職でした」
――営業経理チームからスタートした。
「外国為替や、各営業チームの入出金を扱っていました。営業志望で入社し、異動希望を出していたこともあって1年間だけの配属でしたが、大阪支店の管轄でどんな仕入れ先や取引先があるのか、扱う規模がどれくらいなのかを学び、お客さま個々の知識を覚えることができましたね」
――08年、素形材チームへ。
「金属粉末や鍛造品、鋳造品など、製品に近い半製品の担当になりました。川上から川下まで一貫して携われるのが大同興業の特徴なんです。社会人2年目ですが、営業職としては1年目。体育会系の上司で、男女関係なくスパルタ教育で鍛えてもらいました。初の女性部下だったそうなのですが、特別扱いせずに厳しく指導してくださったことをとても感謝しています。この時があったから、今の自分がいると思っていますね。外回りでは、『かわいい子が来てくれた』と歓迎するお客さまもいれば、経験が少ない若手の女性社員が来たことで『うちの規模の会社でなぜこの子なのか』という反応をされることもありました。分け隔てなく受け入れてくださるお客さまもいらっしゃいましたね」
――厳しい反応もあった。
「そのようなお客さまであっても、真摯な対応を続けました。信頼関係を築きたくて、お客さまからのご要望で分からないことはしっかりと上司に相談をしたり、特にお客さまがお困りの時は前にガツガツ出ていくように心掛けたりしましたね。次第に会社をご訪問した際にお声がけいただけるようになり、『樋口さんに問い合わせたら何とかなる、社内でちゃんと対応してくれる』『困っているから樋口さんに聞いてみよう』と思っていただけるようになりました。担当外の非鉄について相談されることもありました(笑)」
――その後は。
「12年に線材を扱うステンレス第1チームへ異動しました。15年に丸棒や形鋼などを取り扱うステンレス第2チームへと移り、インコネル(高合金)担当になりました。もともとは大同特殊鋼とスペシャルメタルズが合弁会社を設立して取り扱っていたのですが、解消を機に大同興業で扱うようになったんです。高合金は丸棒、線材、帯鋼などさまざまな分野で使用されています。材料の調達から加工、出荷まで担当しています」
――産休・育休を取得されたと伺いました。
「16年と20年に息子を出産しました。長男の時は社内で前例がなかったので、生まれてくるまでは引き継いだお客さまのこと、休むことで同期よりもステップアップが遅れること、復帰後の業務など漠然とした不安でいっぱいでした。いざ出産してからは目まぐるしい毎日が始まってそのように感じる余裕がなかったですね」
――今後を思い巡らしたのですね。
「産休前に『大丈夫だよ』などとケアしてくれる人がいたら心強かったかもしれませんね。過去に会社の勧めで、鉄鋼会館で開催された女性向けの啓発セミナーに参加したことがあるのですが、女性講師の方に言われたことが今でも心に残っています。『私は1人出産し、2人目も欲しかったけれど仕事を優先してしまい、子供を生めない年齢になってから後悔した。仕事で上を目指すのも良いことだけど、出産したい気持ちがあるなら、後輩への道筋を残すことにもなるし大事にしてほしい』。この言葉が自分のライフプランや考えを変えたのかもしれません」
――2回目の産休直前、管理職に就任されました。
「試験を経て20年4月に課長補となりました。役職が就いたといっても、部長とチームリーダーが上におり、番頭のようなイメージですね。男性社員3人、女性総合職1人、女性一般職2人の取りまとめなどを行っています」(芦田 彩)
――入社の経緯を。
「大学時代に中国語を学んでおり、交換留学制度を利用して吉林省長春市で1年間勉強していました。当時はパンツスーツを着て働くキャリアウーマンに憧れ、グローバルでスケールの大きい仕事がしたいと思っていましたね。専門商社を目指していましたが、4年生の夏に帰国。日本の就職活動はピークを過ぎていました。大学のキャリアセンターに相談に行き、卒業生が大同興業で働いていると教えてもらったのをきっかけに、会社説明会に参加しました。社内で行われたのですが、受付を通った際、きれいなオフィスや感じの良い社員の方々が印象的で、漏れ聞こえる電話からは外国名が耳に入り、『ここで働きたい』と思いましたね。06年の男女雇用機会均等法改正をきっかけに女性の総合職採用が始まったようで、同期社員26人中5人が女性総合職でした」
――営業経理チームからスタートした。
「外国為替や、各営業チームの入出金を扱っていました。営業志望で入社し、異動希望を出していたこともあって1年間だけの配属でしたが、大阪支店の管轄でどんな仕入れ先や取引先があるのか、扱う規模がどれくらいなのかを学び、お客さま個々の知識を覚えることができましたね」
――08年、素形材チームへ。
「金属粉末や鍛造品、鋳造品など、製品に近い半製品の担当になりました。川上から川下まで一貫して携われるのが大同興業の特徴なんです。社会人2年目ですが、営業職としては1年目。体育会系の上司で、男女関係なくスパルタ教育で鍛えてもらいました。初の女性部下だったそうなのですが、特別扱いせずに厳しく指導してくださったことをとても感謝しています。この時があったから、今の自分がいると思っていますね。外回りでは、『かわいい子が来てくれた』と歓迎するお客さまもいれば、経験が少ない若手の女性社員が来たことで『うちの規模の会社でなぜこの子なのか』という反応をされることもありました。分け隔てなく受け入れてくださるお客さまもいらっしゃいましたね」
――厳しい反応もあった。
「そのようなお客さまであっても、真摯な対応を続けました。信頼関係を築きたくて、お客さまからのご要望で分からないことはしっかりと上司に相談をしたり、特にお客さまがお困りの時は前にガツガツ出ていくように心掛けたりしましたね。次第に会社をご訪問した際にお声がけいただけるようになり、『樋口さんに問い合わせたら何とかなる、社内でちゃんと対応してくれる』『困っているから樋口さんに聞いてみよう』と思っていただけるようになりました。担当外の非鉄について相談されることもありました(笑)」
――その後は。
「12年に線材を扱うステンレス第1チームへ異動しました。15年に丸棒や形鋼などを取り扱うステンレス第2チームへと移り、インコネル(高合金)担当になりました。もともとは大同特殊鋼とスペシャルメタルズが合弁会社を設立して取り扱っていたのですが、解消を機に大同興業で扱うようになったんです。高合金は丸棒、線材、帯鋼などさまざまな分野で使用されています。材料の調達から加工、出荷まで担当しています」
――産休・育休を取得されたと伺いました。
「16年と20年に息子を出産しました。長男の時は社内で前例がなかったので、生まれてくるまでは引き継いだお客さまのこと、休むことで同期よりもステップアップが遅れること、復帰後の業務など漠然とした不安でいっぱいでした。いざ出産してからは目まぐるしい毎日が始まってそのように感じる余裕がなかったですね」
――今後を思い巡らしたのですね。
「産休前に『大丈夫だよ』などとケアしてくれる人がいたら心強かったかもしれませんね。過去に会社の勧めで、鉄鋼会館で開催された女性向けの啓発セミナーに参加したことがあるのですが、女性講師の方に言われたことが今でも心に残っています。『私は1人出産し、2人目も欲しかったけれど仕事を優先してしまい、子供を生めない年齢になってから後悔した。仕事で上を目指すのも良いことだけど、出産したい気持ちがあるなら、後輩への道筋を残すことにもなるし大事にしてほしい』。この言葉が自分のライフプランや考えを変えたのかもしれません」
――2回目の産休直前、管理職に就任されました。
「試験を経て20年4月に課長補となりました。役職が就いたといっても、部長とチームリーダーが上におり、番頭のようなイメージですね。男性社員3人、女性総合職1人、女性一般職2人の取りまとめなどを行っています」(芦田 彩)
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