2025年6月5日
非鉄業界で働く/三菱マテリアルトレーディング/女性総合職編/インタビュー(上)/根気強く対応し信頼得る

三菱マテリアルグループの中核商社、三菱マテリアルトレーディング(本社=東京都中央区)で働く大金はるかさん。新卒女性総合職の2期生として2016年に入社し、営業として国内外を飛び回ってきた。結婚・出産を経て、昨年からは管理部門法務・コンプライアンス部に所属している。大金さんに仕事のやりがいや、これまで働いてきて感じたことを聞いた。
――どのような学生時代でしたか。
「東京女子大学の国際関係専攻で学び、インカレの海外ボランティアサークルにも入っていました。ボランティアは主にネパールでの教育支援を行い、現地も2回訪問。自分が普段生活している環境と全く違う世界があることを体感しました。就職活動では、海外と関わる仕事がしたいという動機で商社などを受け、縁あって当社に入社しました」
――前年の15年に女性総合職の新卒採用が始まりました。
「入社時は15年入社の2人と、事務職から総合職になられた2人の合計4人の先輩女性総合職がいました。私は同期入社の総合職が5人で、うち2人が女性でした」
――男性が圧倒的に多い環境はどうでした。
「特に女子大出身ですし、環境変化への覚悟はしていました。頑張って早くなじめるよう懇親の場になるべく参加したり、ちょっと迷走して髪の毛を切ってみたりしました(笑)。感じたのは、受け入れる会社の先輩方も戸惑っていたのではないかなということです。気を使ってくれる先輩に気を使うみたいなところがありました。でも皆さん親切で困ることはそんなにありませんでした。同期も仲良かったですし」
――営業職は希望したのですか。
「そうです。特に海外との取引に携わりたいと希望を出し、実際に海外取引が多かった自動車機能部品部、現在のモビリティー部に配属されました。営業で一番長く担当したのが、日本の農機具メーカーにエンジン部品の精密鋳造品を販売する仕事です。仕入れ先は多くが台湾や中国の会社でした」
――願いが叶いましたね。
「海外出張が非常に多くて、月に2回というようなこともありました。仕入れ先の工場の監査などのほか、納期・品質のトラブル対応で仕入れ先の工場を訪問することもしばしば。問題が深ければ滞在日数も長引きます。納入先のクレームを受けて明日から台湾……みたいなこともありました。海外に行きたいと希望して配属されたものの、もう行きたくないと思うこともあるくらい多かったですね」
――社歴が浅いころから大変でしたね。
「出張はそのたびに目的があり、例えば納期対応だったらお客さんから要求があり、それに対してここまでの回答は引き出して帰ってこないといけないと心の中で決めていくのですが、行きの飛行機ではそのためにどうしたら良いかを考え続けて機内食も食べられないような感じでした。仕入れ先が海外だと、お客さまのところで何かトラブルがあってもなかなか一緒には説明に来てもらえないため、私が代わりに説明しなくてはいけません。不具合品が見つかれば、納入ロットの全数選別などもやりました。製品や製造方法への理解が深くなければできない仕事で、文系出身ですが図面の見方なども含めて勉強しました」
――やりがいはどう感じていましたか。
「自動車や農機具向けの仕事では『ラインをつなぐ』というのがとても大事です。お客さまの生産が止まってしまうと分単位で損害が発生するため、ラインをつなぐためみんな必死でやるというような文化があります。仕入れ先と一緒に問題を解決し、お客さまに感謝されるときなどは、やはりやりがいを感じましたね」
――営業時代の特に思い出深い出来事は。
「台湾や中国は、日本でのビジネスの付き合いよりも個人個人の関係性をすごく大切にしている印象です。イメージとしては、日本だとお土産は会社に1つ買っていくのを、向こうでは1人1人に渡すような付き合い方がある。このため、この人が言ったとか、誰に頼まれたということを大事にしているように感じました。例えばお客さまからクレームが入り台湾の仕入れ先工場へ行ったとき、最初の頃はなかなか信用してもらえず、問題の本当の原因を教えてもらえずにクレームが再発するなどの苦労もありました。しかし、私も勉強して根気強く対応していったことで段々と信頼してもらえるようになり、そうなってからはお客さんからの急な納期短縮依頼などにも工場が協力してくれてうれしかったですね。当時の担当の方とは今もプライベートで仲良くしており、来日した時に会ったり、ママ友として情報交換したりしています」
――取引先には女性も多かったのですね。
「社内や日本の取引先には少なかったですが、海外取引先では社長や営業にも女性が当たり前にいました。尊敬できて格好良く、あこがれるような女性の社長とも一緒に仕事ができ、私が女性だからやりにくいと感じることは少なかったです」
(田島 義史)
――どのような学生時代でしたか。
「東京女子大学の国際関係専攻で学び、インカレの海外ボランティアサークルにも入っていました。ボランティアは主にネパールでの教育支援を行い、現地も2回訪問。自分が普段生活している環境と全く違う世界があることを体感しました。就職活動では、海外と関わる仕事がしたいという動機で商社などを受け、縁あって当社に入社しました」
――前年の15年に女性総合職の新卒採用が始まりました。
「入社時は15年入社の2人と、事務職から総合職になられた2人の合計4人の先輩女性総合職がいました。私は同期入社の総合職が5人で、うち2人が女性でした」
――男性が圧倒的に多い環境はどうでした。
「特に女子大出身ですし、環境変化への覚悟はしていました。頑張って早くなじめるよう懇親の場になるべく参加したり、ちょっと迷走して髪の毛を切ってみたりしました(笑)。感じたのは、受け入れる会社の先輩方も戸惑っていたのではないかなということです。気を使ってくれる先輩に気を使うみたいなところがありました。でも皆さん親切で困ることはそんなにありませんでした。同期も仲良かったですし」
――営業職は希望したのですか。
「そうです。特に海外との取引に携わりたいと希望を出し、実際に海外取引が多かった自動車機能部品部、現在のモビリティー部に配属されました。営業で一番長く担当したのが、日本の農機具メーカーにエンジン部品の精密鋳造品を販売する仕事です。仕入れ先は多くが台湾や中国の会社でした」
――願いが叶いましたね。
「海外出張が非常に多くて、月に2回というようなこともありました。仕入れ先の工場の監査などのほか、納期・品質のトラブル対応で仕入れ先の工場を訪問することもしばしば。問題が深ければ滞在日数も長引きます。納入先のクレームを受けて明日から台湾……みたいなこともありました。海外に行きたいと希望して配属されたものの、もう行きたくないと思うこともあるくらい多かったですね」
――社歴が浅いころから大変でしたね。
「出張はそのたびに目的があり、例えば納期対応だったらお客さんから要求があり、それに対してここまでの回答は引き出して帰ってこないといけないと心の中で決めていくのですが、行きの飛行機ではそのためにどうしたら良いかを考え続けて機内食も食べられないような感じでした。仕入れ先が海外だと、お客さまのところで何かトラブルがあってもなかなか一緒には説明に来てもらえないため、私が代わりに説明しなくてはいけません。不具合品が見つかれば、納入ロットの全数選別などもやりました。製品や製造方法への理解が深くなければできない仕事で、文系出身ですが図面の見方なども含めて勉強しました」
――やりがいはどう感じていましたか。
「自動車や農機具向けの仕事では『ラインをつなぐ』というのがとても大事です。お客さまの生産が止まってしまうと分単位で損害が発生するため、ラインをつなぐためみんな必死でやるというような文化があります。仕入れ先と一緒に問題を解決し、お客さまに感謝されるときなどは、やはりやりがいを感じましたね」
――営業時代の特に思い出深い出来事は。
「台湾や中国は、日本でのビジネスの付き合いよりも個人個人の関係性をすごく大切にしている印象です。イメージとしては、日本だとお土産は会社に1つ買っていくのを、向こうでは1人1人に渡すような付き合い方がある。このため、この人が言ったとか、誰に頼まれたということを大事にしているように感じました。例えばお客さまからクレームが入り台湾の仕入れ先工場へ行ったとき、最初の頃はなかなか信用してもらえず、問題の本当の原因を教えてもらえずにクレームが再発するなどの苦労もありました。しかし、私も勉強して根気強く対応していったことで段々と信頼してもらえるようになり、そうなってからはお客さんからの急な納期短縮依頼などにも工場が協力してくれてうれしかったですね。当時の担当の方とは今もプライベートで仲良くしており、来日した時に会ったり、ママ友として情報交換したりしています」
――取引先には女性も多かったのですね。
「社内や日本の取引先には少なかったですが、海外取引先では社長や営業にも女性が当たり前にいました。尊敬できて格好良く、あこがれるような女性の社長とも一緒に仕事ができ、私が女性だからやりにくいと感じることは少なかったです」
(田島 義史)

