1
2024.12.4
2023年5月10日
非鉄業界で働く/女性センター長編/インタビュー/会社設立、好奇心で挑戦
フジクラで新事業創生・研究開発部門・戦略センター長を務める山田由美(やまだ・ゆみ)さん。「新しいことに挑戦し、それまで知らなかったことを知る感覚が好き」という性格の持ち主で、過去には半導体レーザーの研究開発に注力する傍ら、客員研究員としての留学や有志によるベンチャー企業の立ち上げ、トップアカデミアとの共同研究所の立ち上げなど、新たな世界を開拓し続けてきた。研究開発企画センター長も兼務する中、さらなる高みを目指す山田さんに仕事に対する思いなどを聞いた。
――理系(物理系)を志したきっかけ。
「中学生の頃は英語が好きだったので英文科への進学を考えていましたが、高校生になって学ぶ英単語が増えるともう自分の手には負えないと思い、理系に進む道を選びました。3年生の時に物理の先生が『万有引力の法則』の話をしてくれ、異なる事象を一つの法則で語れる学問に感銘を受けたほか、法則をかき集めていけば真理に近づける面白い学問だと思ったことが物理系を目指す動機につながりました」
――大学時代の過ごし方を。
「基礎工学部で物性物理を専攻し、合成ダイヤモンドのカラーセンターに関する研究に力を入れました。半導体レーザーの数値を図るという、今でこそ何ということのない実験でしたが、当時は物の特性を光で知ることができる、たくさんの情報がそれで分かるといった光物性に面白さを感じていました」
――他社での就業経験がある。
「修士課程修了後は化学メーカーに就職しました。大学の研究室で助手をされていた人がリクルーターとして研究室に来たのですが、その人が過去に手掛けた研究データや実験装置を見たり、実際に話をしたりするうちに『こんな人の下で働きたい』と思ったことが同社を志す決め手になりました」
――当時の業務は。
「半導体レーザーの基礎研究をしていました。当時はまだ世界で性能を競い合うような時代でした。国際会議に出席させてもらうこともあった中、私のような会社に入ったばかりの新人でも結果を出せば認めてくれる状況が純粋にうれしかったことを覚えています。そんな環境で研究に打ち込みたいと思い、30代前半には米コーネル大学に留学して、新しい物質を使ったレーザーの基礎研究のようなこともさせてもらいました。期間は1年半ほどでしたが、自分の考えや意見を相手にしっかり伝えることを大切にする外国で鍛えられた経験は、今の自分にもつながっていると思っています」
――2005年に、現フジクラ子会社のオプトエナジー社を設立した。
「入社から13年がたつ頃、当時の会社が半導体レーザーの研究開発をやめて本業に回帰するという話になったので、退職して、同じ志を持つ6人で立ち上げた会社になります。最初の頃は大量の設備が必要な中で物が買えない、人が雇えない、必要な書類は自分たちで作るなど苦労もたくさんありましたが、やりたいことをやりたい人が集まって、同じ方向を向いて研究開発に取り組む環境は楽しくもありました」
――18年にフジクラに再転職した。
「フジクラから声を掛けられたことがきっかけでした。その頃はちょうど製造部を仕切る立場にいました。設立から必死に育てた、いわば子どものような会社だったこともあり、続けるか辞めるか悩みました。でも在籍期間が前の職場と同じ13年がたっていて、踏み変えるなら今かもしれないと思ったんです。会社が安定期に入りかけていたこと、新しいことに挑戦したいという自分の中の好奇心が勝ったことも転職の後押しになりました」
――フジクラ入社後の職務は。
「最初は、研究開発企画センターの研究開発戦略室長を担いました。新しいコア技術を開発する研究組織を立ち上げたいとの話が上がる中で、トップアカデミアとの共同研究をベースにした研究所を立ち上げようということになり、米マサチューセッツ工科大学(MIT)に打診するなど新たな研究開発につながるすべの模索や開拓に励みました。その関係でMIT.nanoとの連携の推進にかかわる、19年に新設された先端基礎研究を行うユニット『アドバンスト・リサーチ・コア』の所長も務めさせてもらいました。過去の留学やベンチャー企業の設立といった経験が新たな組織の立ち上げなどに生きたと考えています」
――非鉄業界はまだまだ男性優位と言われている。
「自分の経験で言うと、この人がいてくれたから今の私がいるという師匠のような人に出会えたことが大きかったと思っています。この業界で女性が増えるにはまだ時間がかかりそうですが、チャンスだと思ったら怖がらずに乗っかっていってほしいですね」
――今後の目標は。
「研究開発やマーケティングに力を注ぐメンバーで最高のチームを作り、新しい時代の顧客価値を少しでも早く提供できるよう取り組んでいきたいです」
――趣味は。
「登山です。日本百名山と呼ばれる山々も半分近く登りました。フジクラへの転職を決めたのも唐松岳に登った時でした。最近になってカメラを始めたので、ハイキングなどで気軽に撮れる写真を楽しみたいです」
(松田 元樹)
非鉄業界で活躍する女性をはじめとした多様な人材、未来を担う人材を、随時紹介していきます。
――理系(物理系)を志したきっかけ。
「中学生の頃は英語が好きだったので英文科への進学を考えていましたが、高校生になって学ぶ英単語が増えるともう自分の手には負えないと思い、理系に進む道を選びました。3年生の時に物理の先生が『万有引力の法則』の話をしてくれ、異なる事象を一つの法則で語れる学問に感銘を受けたほか、法則をかき集めていけば真理に近づける面白い学問だと思ったことが物理系を目指す動機につながりました」
――大学時代の過ごし方を。
「基礎工学部で物性物理を専攻し、合成ダイヤモンドのカラーセンターに関する研究に力を入れました。半導体レーザーの数値を図るという、今でこそ何ということのない実験でしたが、当時は物の特性を光で知ることができる、たくさんの情報がそれで分かるといった光物性に面白さを感じていました」
――他社での就業経験がある。
「修士課程修了後は化学メーカーに就職しました。大学の研究室で助手をされていた人がリクルーターとして研究室に来たのですが、その人が過去に手掛けた研究データや実験装置を見たり、実際に話をしたりするうちに『こんな人の下で働きたい』と思ったことが同社を志す決め手になりました」
――当時の業務は。
「半導体レーザーの基礎研究をしていました。当時はまだ世界で性能を競い合うような時代でした。国際会議に出席させてもらうこともあった中、私のような会社に入ったばかりの新人でも結果を出せば認めてくれる状況が純粋にうれしかったことを覚えています。そんな環境で研究に打ち込みたいと思い、30代前半には米コーネル大学に留学して、新しい物質を使ったレーザーの基礎研究のようなこともさせてもらいました。期間は1年半ほどでしたが、自分の考えや意見を相手にしっかり伝えることを大切にする外国で鍛えられた経験は、今の自分にもつながっていると思っています」
――2005年に、現フジクラ子会社のオプトエナジー社を設立した。
「入社から13年がたつ頃、当時の会社が半導体レーザーの研究開発をやめて本業に回帰するという話になったので、退職して、同じ志を持つ6人で立ち上げた会社になります。最初の頃は大量の設備が必要な中で物が買えない、人が雇えない、必要な書類は自分たちで作るなど苦労もたくさんありましたが、やりたいことをやりたい人が集まって、同じ方向を向いて研究開発に取り組む環境は楽しくもありました」
――18年にフジクラに再転職した。
「フジクラから声を掛けられたことがきっかけでした。その頃はちょうど製造部を仕切る立場にいました。設立から必死に育てた、いわば子どものような会社だったこともあり、続けるか辞めるか悩みました。でも在籍期間が前の職場と同じ13年がたっていて、踏み変えるなら今かもしれないと思ったんです。会社が安定期に入りかけていたこと、新しいことに挑戦したいという自分の中の好奇心が勝ったことも転職の後押しになりました」
――フジクラ入社後の職務は。
「最初は、研究開発企画センターの研究開発戦略室長を担いました。新しいコア技術を開発する研究組織を立ち上げたいとの話が上がる中で、トップアカデミアとの共同研究をベースにした研究所を立ち上げようということになり、米マサチューセッツ工科大学(MIT)に打診するなど新たな研究開発につながるすべの模索や開拓に励みました。その関係でMIT.nanoとの連携の推進にかかわる、19年に新設された先端基礎研究を行うユニット『アドバンスト・リサーチ・コア』の所長も務めさせてもらいました。過去の留学やベンチャー企業の設立といった経験が新たな組織の立ち上げなどに生きたと考えています」
――非鉄業界はまだまだ男性優位と言われている。
「自分の経験で言うと、この人がいてくれたから今の私がいるという師匠のような人に出会えたことが大きかったと思っています。この業界で女性が増えるにはまだ時間がかかりそうですが、チャンスだと思ったら怖がらずに乗っかっていってほしいですね」
――今後の目標は。
「研究開発やマーケティングに力を注ぐメンバーで最高のチームを作り、新しい時代の顧客価値を少しでも早く提供できるよう取り組んでいきたいです」
――趣味は。
「登山です。日本百名山と呼ばれる山々も半分近く登りました。フジクラへの転職を決めたのも唐松岳に登った時でした。最近になってカメラを始めたので、ハイキングなどで気軽に撮れる写真を楽しみたいです」
(松田 元樹)
非鉄業界で活躍する女性をはじめとした多様な人材、未来を担う人材を、随時紹介していきます。
スポンサーリンク