2020年10月15日

グローバル展開に駆ける 大和工業成長の軌跡 井上浩行会長

大和工業は、海外展開で世界最先端を走り続ける電炉メーカー。日本、米国、タイ、韓国、バーレーン、サウジアラビア、ベトナムの7カ国8カ所で製鉄業を展開。連結人員3800人の85%、年産能力640万トンの90%を海外事業が占めるグローバル企業である。2020年3月期の連結業績は売上高1819億円、経常利益231億円、売上高経常利益率(ROS)12・7%。産業新聞社まとめの鉄鋼・加工メーカー業績ランキング(全100社)ROS部門では、直近5年間で3回トップに立つ。経常利益の約7割を海外企業が稼いでおり、大陸を超えた幅広い事業ポートフォリオが高収益を支えている。1981年に社長に就任し、87年の米ニューコア・ヤマト設立以来、「ジョイントベンチャー・ファースト」のスタンスで海外進出を牽引してきた井上浩行取締役会長にグローバル展開の足跡を辿ってもらった。(主筆=谷藤 真澄、早間大吾)

ヤマトスチール

【輸出市場の開拓から】

――日本鉄鋼業において海外進出がまだ珍しかった1980年代に米国合弁事業の決断に至った時代背景から聞きたい。

「初代社長で父親の井上浅次が1944年に現在の大和工業を創業した。戦後になって、レール加工事業から鋳鋼品、重機械加工事業へとビジネスを拡大し、75年にユニバーサル・ミルを導入して、電炉形鋼メーカーとしての礎を築いてくれた。私は69年に入社し、73年に取締役調査企画室長、74年に常務、78年に代表取締役専務に就いた。当時は鉄鋼事業が売上高の8割を占め、H型鋼が主要品種になっていた。その鉄鋼事業の販売先は店売りやストッキスト向けがほとんどで、『あと仕切り』の商習慣が残っていた。当時は、まず高炉メーカーの数が多かった。電炉メーカーも多く、東京製鉄は当社の3-4倍の規模で、主力のH形鋼でも東鉄の半分程度のスケールだった。こうした市場環境にあって、某高炉メーカーの建材部長からは、『立場が一番弱い大和工業に狙いを定め、あと仕切りを求めてくるだろうが、絶対に乗るな』と幾度となく言われていた。実態は、別の高炉メーカーが率先して『あと仕切り』を呑んでいたわけで、『大和工業は抵抗している』と反発し続けていた。とはいえ疑心暗鬼と混乱が解消される見通しはまったく立たず、収益を安定させるため、『あと仕切り』のない輸出市場への進出を考えた。日商岩井などの商社に相談したところ、東南アジアでH形鋼の販路を開拓しようということになった。私も一緒に出張し、シンガポールやマレーシア、インドネシアへと販路を広げていった。その後、米国向けの輸出も始めるが、ある案件で大きな問題が発生した。社長の父親は癌で闘病生活に入っていたため報告できず、義理の兄の萩原保延副社長、営業担当の三木博之取締役と私の3人で謝りに行ったが、商売は途切れてしまった。私が81年に社長に就任してしばらく経ったころ、ほとぼりも冷めただろうと、例の米国の取引先に挨拶に行ったところ、『同じ間違いをしないように』と釘を刺された上で、輸出を再開することができた」

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