2023年3月9日

鉄鋼業界で働く/グローバル人材編/インタビュー(上)/経済大国の日本に憧れ

ステンレス・特殊鋼の専門商社、大同興業大阪支店(所在地=大阪市中央区、早川浩史支店長)で、中国出身の金本隆さんが部下の指導などに当たっている。日本に憧れ10代で来日。素形材営業本部素形材第一部長として、国境を越えて活躍している。来日の経緯や就職活動、鉄鋼業界での歩みを聞いた。

――来日までは。

「中国・浙江省で生まれ育ちました。上海の南側にあり、海が近い街です。当時は中国経済がある程度発展していて、金融関係が人材不足だったので、中国三大銀行の1つである建設銀行の系列大学に入学しました。銀行の幹部を育成するところですね。大学1年生の終わりごろ、たまたま東京に住んでいた親戚から、日本に留学しないかと誘われまして。1988年当時の日本のGDPは、中国の約8倍。私はもちろん、さまざまな中国人が経済大国の日本に憧れを持っていました。インターネットがない時代だったので、得られる情報は映画や雑誌を通じたものと、昔の戦争の話くらい。不安はありましたが、経済について学びたい思いが強く、大学を中退後の同年9月23日、19歳で来日しました」

――その後は。

「来日時は、清潔で礼儀正しい日本に驚きましたね。人もみんな優しいなと。最初の数週間は親戚の家にお邪魔し、すぐにアパートを借りました。88―89年ごろの中国の年収は日本の20分の1くらいで、日本との経済格差がとても大きくて。奨学金で足りない分は自力で何とかしようと、居酒屋の調理場、測量や肉体労働といった日雇いのアルバイトをしました。新宿の日本語学校に約1年半通ったのち、中央大学経済学部国際経済学科に入学。卒業後は中国へ帰国することを選択肢に入れていましたが、せっかくなので日本の会社で働いてみたいなと。日本で社会人の経験を積みたいと思い、就職活動をしました」

――日本に残った。

「大学4年生の時に結婚して家庭を持ち、日本の生活に落ち着いてしまったという理由もありますね。グローバルな仕事であれば、日本にいても中国にいても同じなんじゃないか? と思ったのもあります。親からの反対はありましたが、日本経済から学べることがたくさんあると確信していました。故郷の浙江省は商売人が多い土地柄で、『商社』的な仕事をしたい気持ちも強かったです」

――非鉄金属の道へ。

「大同興業は転職で入った会社でして、94年の新卒時はオーナー系の非鉄金属専門商社に就職しました。当時は外国人留学生の採用が徐々に増加していたものの、そんなに多くありませんでした。その上、バブル崩壊後の就職氷河期。さまざまな企業の入社試験を受ける中で、非鉄金属の専門商社が私の経歴に興味を示してくれまして。香港に支店があり、いずれ中国にも拠点を作りたいとのことで、意気投合しました。メーカーではなく、幅広くいろんなビジネスができる商社に入りたいという希望もあったので、その会社を選びましたね」

――入社後は。

「営業職として、真ちゅうやアルミなどの材料、アルミの鋳物や鍛造品といった部品を担当しました。日系企業の工場が中国にたくさんあるので、先輩に同行して毎週のように出張していましたね。仕入れ先も、先輩とともに中国や台湾で開拓しました。90年代半ばは円高だったので、仕入れ調達とニーズが合ったんです。仕入れ先の工場では工程管理、立ち合い検査、品質管理も担当。若いうちに現場でたくさん勉強させてもらいました。今の仕事にも生きています」

――苦労も。

「オーナー系なので、オーナーさえ認めればすぐに提案が通るという一面もあれば、少し保守的な部分もありました。当時は仕事の規模が大きくなかったこともあり、先輩の同行ばかりで自分の担当を持たせてもらえない時期も。JETRO(日本貿易振興機構)に行って企業の情報収集をし、ファクスや手紙で海外の仕入れ先の開拓に奮闘しました」

――母国との違いは。

「日本人はものづくりに向いていますね。繊細な性格で、図面通りに作るだけではなく、美しさも追求する。芸術品ではないけれど、細かく仕事をされているなと思いました。何度も一緒に試作をして完成した時に、泣いてくださるお客さまがいらして、関係が深まっていくのも実感しました。中国は、使えればそれでいいという考えがありますね。アバウトで、計画性に乏しいのが気になります。当時は約束した期日が守られないこともありましたね。また上海市では気温が37度を超えると仕事を休んでいいという決まりがあるようで、真夏に行くと試作品が完成していなかったことも。今は日本企業の進出やローカルなお付き合いの積み重ねで中国も少しずつグローバルなお付き合いの仕方が進歩し、ものづくりも進んでいるように感じます」

――97年に帰化した。

「もともと国籍にこだわりがないんです。中国のパスポートを持ち続けても、中国へ行く時以外はいろいろ不便だなと感じていて。同世代の友人に進められたことも後押しし、家族全員で帰化しました」

――大同興業へ。

「今まで以上に幅広くグローバルな仕事をしたいという思いがあり、2002年10月、ご縁があって中途採用で入社しました。32歳の時でしたね。和気あいあいとしていて、上司と相談しやすく、雰囲気の良い会社というのが第一印象。東京本社の素形材チームに配属され、新たなスタートを切りました」

(芦田 彩)





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