2020年11月18日

「金属リサイクル 未来への展望」上場大手各社首脳座談会1 上場への歩み 多角化なくして成長なし 総合的な資源再生を意識

 2015年9月の国連サミットで持続可能な開発目標「SDGs」が採択された。金属リサイクル企業は、循環型社会の担い手として「SDGs」達成に向けた一翼を担う存在と期待される。「動脈産業」と例えられる製造業に対し、リサイクル業界は「静脈産業」と呼ばれ注目を集めるものの、中小企業中心の産業で構造的に抱える課題は少なくない。産業新聞社は紙齢2万号記念として、金属リサイクル事業を原点に上場を果たしたリバーホールディングスの鈴木孝雄会長、エンビプロ・ホールディングスの佐野富和社長、イボキンの高橋克実社長、同3社と関係が深くプラント解体事業などで上場したベステラの吉野佳秀会長の4人による座談会をこのほど開き、現在の問題を解き明かし、未来への展望を探った。

佐野「当社は1950年に父が創業し、私は2代目。富士宮の田舎だからろくに鉄スクラップなどもなく、鉄工所のスクラップやダライ粉などを集めていたが、90年ごろには鉄スクラップが国内で余り始め、メーカーの『枠制限』ではほとんど枠がもらえない状況だった。そこで貿易部をつくろうと考え、アメリカで人事募集広告を出した。当時で800万円かけた。李さんという極めて優秀な方に出会い、92年に貿易部をつくってもらった。そのあたりから会社が変化し始めた。シュレッダーを入れたのが97年。当時はダスト問題が激しく、捨て場がなくなっていた時期だったため、周りはシュレッダー導入に非常に懐疑的だったが、それでもシュレッダーを入れた。これらが当社の分岐点であり、最も変化が明確になった時期だ」

高橋「当社は49年に祖父が始めた。いろんなものを扱っていた。IHIで船を解体したり、ちょっとしたスクラップを扱ったりしていたと聞いている。三男の父が73年に独立して創業したのがイボキン。私は大学を出て津田鋼材(現三井物産スチール)に入社した。昔からわんぱくで反抗ばかりしていたが、父が健康を崩したことをきっかけにイボキンに入社し、鉄スクラップを手伝うようになった。当時は3K職場で、子供から『会社の前を通るのが恥ずかしい』と。その時、絶対に社員が世間に誇れて社員の子供が『うちのお父さんの会社こんなんやで』と友達に言えるような会社にしたいと思った。新聞を読んでいたら、同業者がISO14001というものを業界で初めて取得したという。これをきっかけにうちの会社も変えることができるのではないかと思った。その企業が、佐野マルカ商店(現エンビプロ・ホールディングス)だった。すぐ電話して『ぜひ教えてください、うちの会社小さいし、汚いのですが』と正直にいうと、当時の環境室長だった方が快諾してくださり、佐野さんも口添えしてくれた。99年のことだった」

鈴木「ふたりの話を聞いて感服してしまった(笑)。私はあまり劇的な過去というのはないから。お二人は2代目ですよね。日本の鉄スクラップ業の今の社長クラスの人員はほとんどが2代目だ。というのも、鉄スクラップ業の基盤ができ上がるのは戦後の復興と同時期。戦後にわが国の鉄鋼業が立ち上がって鉄製品やインフラを造り急速に生産を伸ばし、一定量の鉄スクラップも発生した。ただ、当社は創業が1904年で、世代でいうと3代目。いまはもう4代目に入ろうとしている。佐野さんや高橋さんとは少し時間の流れが違うけど、懸命に努力をして規模が大きくなり、実際にこの3社が上場に至った。そしてきょう同席してもらっているベステラの吉野さんと4人で普段から仲良くさせてもらっている」

吉野「ひょんなことから佐野さんの紹介で鈴木さんと知り合いになれて、今は同志のような気持ちでいる。静脈産業をさんぜんたる動脈産業のようにするにはどうすればいいか考えたい、一緒にやらないかといわれ、最後の仕事になるかもしれないが、やろうじゃないかと思っている」

鈴木「ちなみに吉野さんは上場して何年経ちましたか」

吉野「5年です」

鈴木「とすると、この中で一番古いのは佐野さん、次は吉野さん、高橋さん。私は初年ということになるが、つまり戦後75年たって、ようやくこの業界の中で上場を目指す企業やそれをクリアできる企業が現れてきたということ。新聞社がいま私たちに声をかけたのは業界の刺激になるし、エポックメイキングといえると思う」

佐野「うちは貿易部が柱になり、静岡県富士宮市という片田舎にいながらにして全国を俯瞰できるようになったし、私自身のマーケットを見る目も大きく変わっていった。さらにシュレッダープラントという破砕選別ラインを持ったことにより、家電リサイクル法が始まった時には富士通ゼネラルと一緒に富士エコサイクルをつくったり、自動車リサイクル法に対応してUSSと組んでアビヅをつくったりと、法整備に対応する新会社を設立したことが第2ステージにつながった。その後M&Aなどしながら2013年に東証二部上場に至り、18年には一部に指定替えした」

高橋「ISO取得以降ずっと『兄貴』と慕ってきた佐野社長は、会社がまだまだ小さかった時代からいろんなことをチャレンジして実現し、上場を果たした。私も大きく影響を受けた。何より自分の家業に従事してくれた人たちを良くしてあげたいという思いがあって、それが事業拡大や上場への原動力・モチベーションになっている」

鈴木「私たちも佐野さんに上場のアドバイスを受けた。佐野さんのとこは非常に先進的。いつも新しいことを考えてチャレンジしている代表的な企業だ」

佐野「失敗も多いですけどね(笑)」

鈴木「そんなのは当たり前ですよ。失敗100に対して成功が3くらいの割合。後に戻れないような失敗をしたらそこで終わるんだけど、佐野さんは顔に似合わず慎重だから(笑)。とにかくチャレンジの数はすごい。パイオニアだといえる」

吉野「私は18歳から名古屋でスクラップを扱っていたが、飯が食えなかった時代が長くて、どうやったらいいかと思い、鉄だけでなく銅などの非鉄の世界をのぞいてみた。それで、解体をするとスクラップを作りながら仕事ができるということに気づいた。その後オイルショックやリーマン・ショックなどがあり、どうしたら強い会社をつくるかと悩んだ時には、機械も工場も設備も持たない経営、すなわち『考える経営』をしようと思った。そうしたら上場も見えるのではないかと。スクラップを生産しながら仕事をいただく。そういう方法で客に喜んでもらう。大工に家を壊せという人はたぶんいないし、壊すときは専門の人に頼む。作る人に合わせないというのが私のポリシーで、元請けに近い形でいま仕事を請け負っていくことができている」

鈴木「約半世紀にわたってこの業界にいて、多くの方とお互いに刺激し合いながらやってきた。今日の座談会の参加者は、鉄スクラップ系の上場企業という仕分けからこの3社だと思ってくれたわけで、ベステラさんは建設業ですね。ちなみに(総合環境企業を目指す)タケエイさんという会社はサービス業です。つまり、静脈産業という項目は株の世界にないんですよ。佐野さんと高橋さんが沿革を話してくれたように、われわれは実に多く変化してきて、もはや鉄リサイクル業だけだとは自己認識していないと思う。当社もそうだ。当社は資源リサイクル業・資源再生業だと思っている。あらゆるものをリサイクルする。共通項は製品が廃棄されたらそれを原料に戻す、という点。新しい業態としてくくっていくのがおそらく株の世界でも起こっていくのでは。すでに先進的な企業は多角化している。逆にいうと、多角化しないと成長は図れない。自分たちで言うのもおこがましいが、少なくともこの3社は鉄リサイクル業だけという認識ではなく、総合的に全てのものをリサイクルするという意識があるはずだ」


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