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2024.12.4
2024年3月22日
鉄鋼業界で働く/グローバル人材編/インタビュー/語学生かし海外勤務目標
日本製鉄の薄板事業部自動車鋼板営業部自動車鋼板輸出室に勤務するネパール出身のバッタライ・ジナスさんは2017年に留学先である日本の大学を卒業し、日本製鉄に入社した。東日本製鉄所鹿島地区での工程業務を経て、現在は自動車鋼板の海外営業に従事している。日本との縁や日本製鉄に就職した経緯、現在の業務内容、今後の目標などを聞いた。
――留学先に日本を選んだきっかけは。
「当初は米国や英国への留学を考えていましたが、父がネパールで日本語を教えており、父からの薦めもあって09年に高校卒業後、大分県の専門学校に留学しました。その後、大分にキャンパスのある立命館アジア太平洋大学に進学し、卒業して日本製鉄に就職しました」
――日本製鉄を志望した理由は。
「学生時代は大分市に住んでいたので、製鉄所があることは知っていましたが、就職先として考えるようになったのは、企業が大学で会社説明会を開催する『オンキャンパス・リクルーティング』という大学主催のイベントがきっかけです。日本製鉄の会社説明会に参加し、グローバルに事業を展開するスケールの大きさや、さまざまな産業に素材を供給する鉄鋼産業のダイナミックさに憧れて入社を志望しました」
――入社後は東日本製鉄所に配属。
「新入社員研修を受けてから鹿島地区の工程業務部薄板工程室に配属されました。自動車や家電、建材などに使われる薄板の生産管理が主な業務で、21年に現在の部署に異動するまで約4年間勤務しました」
――当時の職場で思い出深い仕事は。
「入社2年目を迎えたばかりの頃、薄板の生産ラインが定期修理で工事に入ることとなり、お客さまへの供給に影響が出ないよう在庫積みなどの準備を進めていたのですが、あるお客さまからの発注量が当初の予定よりも大幅に増え、供給量が足りなくなる可能性があるという問題に直面しました。社内の各部署への相談・説明に加え、協力会社の方々にもご協力いただき、工期の短縮や生産計画の見直しなどでなんとか乗り切ることができ、自分が携わる仕事の責任の重さと、どんなに追い込まれても最後まであきらめないことの大切さを感じた出来事でした」
――現在の部署での担当業務について。
「自動車製造に使われる鋼板の販売を行う部署に所属し、その中でも海外自動車メーカー向けの販売を担当しています。地域としては韓国や中国、北米への輸出が主体です。販売だけでなく、市場調査や新規開拓、お客さまへのアフターサポートなども手掛けており、幅広い業務を経験できています」
――海外出張の機会も多い。
「2カ月に一度は販売先を訪れ、自動車メーカーと商談しています。所属する自動車鋼板輸出室は先輩社員や同僚も頻繁に海外出張しています。海外駐在経験のある社員も多く、オープンでフランクな雰囲気で個性を生かしやすい環境であり、自分らしく働くことができています。日本語の語学力の面ではまだ不十分なところもあると自覚していますが、周りに助けてもらうことで、業務には支障なくやれているのではと思います」
――会社全体で見た場合の日本製鉄の印象はどうか。
「物事をまじめに考えて正確に対応する会社という印象です。重厚長大型産業のため、一つ一つの決定によって進む方向や影響度合いが大きく変わるので、長期ビジョンに沿って計画を実行していく必要があり、慎重な判断が求められます。若い頃はスピード感が足りないと、もどかしく感じることもありましたが、じっくり考えることの重要性を理解してきました」
――日本での生活も丸15年となるが、オフの過ごし方は。
「日本で出会ったネパール出身の妻と4年前に結婚し、2歳の息子とにぎやかに暮らしています。サッカーが好きなので、試合観戦と草サッカーの両方を楽しんでいます。ギター演奏も趣味で、よく弾くのは90年代の洋楽ですね。忙しさもあり、数年に一度しか帰国できていませんが、最近、日本とネパールとの直行便が運航しており、2月に両親が日本へ遊びに来てくれたので、浅草などを案内しました」
――今後の目標を。
「これまでの経験を生かして海外でも勤務してみたいと考えています。現在の業務の延長線上として海外自動車メーカーにより近い場所で勤務するのもいいですし、当社の海外プロジェクトに携わる仕事にも非常に興味があります。当社はインドでアルセロール・ミッタルと共に運営するAM/NSインディアの増強投資を進めています。私はインドの公用語である英語とヒンディー語を話せますので、祖国のネパールとも国境を接するインドで当社の事業に貢献することは目標の一つです」(音成 泰文)
鉄鋼業界で活躍する女性をはじめとした多様な人材、未来を担う人材を、随時紹介していきます。
――留学先に日本を選んだきっかけは。
「当初は米国や英国への留学を考えていましたが、父がネパールで日本語を教えており、父からの薦めもあって09年に高校卒業後、大分県の専門学校に留学しました。その後、大分にキャンパスのある立命館アジア太平洋大学に進学し、卒業して日本製鉄に就職しました」
――日本製鉄を志望した理由は。
「学生時代は大分市に住んでいたので、製鉄所があることは知っていましたが、就職先として考えるようになったのは、企業が大学で会社説明会を開催する『オンキャンパス・リクルーティング』という大学主催のイベントがきっかけです。日本製鉄の会社説明会に参加し、グローバルに事業を展開するスケールの大きさや、さまざまな産業に素材を供給する鉄鋼産業のダイナミックさに憧れて入社を志望しました」
――入社後は東日本製鉄所に配属。
「新入社員研修を受けてから鹿島地区の工程業務部薄板工程室に配属されました。自動車や家電、建材などに使われる薄板の生産管理が主な業務で、21年に現在の部署に異動するまで約4年間勤務しました」
――当時の職場で思い出深い仕事は。
「入社2年目を迎えたばかりの頃、薄板の生産ラインが定期修理で工事に入ることとなり、お客さまへの供給に影響が出ないよう在庫積みなどの準備を進めていたのですが、あるお客さまからの発注量が当初の予定よりも大幅に増え、供給量が足りなくなる可能性があるという問題に直面しました。社内の各部署への相談・説明に加え、協力会社の方々にもご協力いただき、工期の短縮や生産計画の見直しなどでなんとか乗り切ることができ、自分が携わる仕事の責任の重さと、どんなに追い込まれても最後まであきらめないことの大切さを感じた出来事でした」
――現在の部署での担当業務について。
「自動車製造に使われる鋼板の販売を行う部署に所属し、その中でも海外自動車メーカー向けの販売を担当しています。地域としては韓国や中国、北米への輸出が主体です。販売だけでなく、市場調査や新規開拓、お客さまへのアフターサポートなども手掛けており、幅広い業務を経験できています」
――海外出張の機会も多い。
「2カ月に一度は販売先を訪れ、自動車メーカーと商談しています。所属する自動車鋼板輸出室は先輩社員や同僚も頻繁に海外出張しています。海外駐在経験のある社員も多く、オープンでフランクな雰囲気で個性を生かしやすい環境であり、自分らしく働くことができています。日本語の語学力の面ではまだ不十分なところもあると自覚していますが、周りに助けてもらうことで、業務には支障なくやれているのではと思います」
――会社全体で見た場合の日本製鉄の印象はどうか。
「物事をまじめに考えて正確に対応する会社という印象です。重厚長大型産業のため、一つ一つの決定によって進む方向や影響度合いが大きく変わるので、長期ビジョンに沿って計画を実行していく必要があり、慎重な判断が求められます。若い頃はスピード感が足りないと、もどかしく感じることもありましたが、じっくり考えることの重要性を理解してきました」
――日本での生活も丸15年となるが、オフの過ごし方は。
「日本で出会ったネパール出身の妻と4年前に結婚し、2歳の息子とにぎやかに暮らしています。サッカーが好きなので、試合観戦と草サッカーの両方を楽しんでいます。ギター演奏も趣味で、よく弾くのは90年代の洋楽ですね。忙しさもあり、数年に一度しか帰国できていませんが、最近、日本とネパールとの直行便が運航しており、2月に両親が日本へ遊びに来てくれたので、浅草などを案内しました」
――今後の目標を。
「これまでの経験を生かして海外でも勤務してみたいと考えています。現在の業務の延長線上として海外自動車メーカーにより近い場所で勤務するのもいいですし、当社の海外プロジェクトに携わる仕事にも非常に興味があります。当社はインドでアルセロール・ミッタルと共に運営するAM/NSインディアの増強投資を進めています。私はインドの公用語である英語とヒンディー語を話せますので、祖国のネパールとも国境を接するインドで当社の事業に貢献することは目標の一つです」(音成 泰文)
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